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時代は変わっても変わらないもの。昭和生まれが語るららぽーとの思い出

2015/10/13by Raco

今日のららぽーと

ららぽーと海老名のオープンもいよいよ目前に迫ってきましたね。

先日、祖父のお墓参りに行ってきました。
職人だった祖父と祖母はとにかく新し物好きで、都内近郊に目新しいものが登場すると渋滞にはまりながらも、あちこちに連れていってくれました。

そんな祖父とわたしが大好きだった場所が、当時船橋にあったららぽーとだったのでした。

今でこそ、郊外のあちこちに大型ショッピングモールができましたが、当時はまだまだ大きな商業施設と言えば駅前のデパートが主流で、車で行くショッピングモール形態のお店はとても珍しかったのです。

普段、親には絶対買ってもらえないようなちょっと背伸びをした服や靴、地元では食べられないようなめずらしい食べ物、国内初出店のお店も多くて、目新しいものだらけで、まるで宝島のようでした。

今日はちょっとノスタルジックな気分で、個人的な思い入れを交えつつ、ららぽーとの歴史を振り返ってみたいと思います。
 

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昭和56年、船橋に誕生!

昭和56年、埋立地に開設された船橋ヘルスセンターの跡地に「ららぽーと船橋ショッピングセンター」という名称で第一号店となるららぽーとが誕生しました。

日本初の車での来場を重視したアメリカ型の大型ショッピングセンターだったそうです。
オープン当初は、そごうとダイエーが入り、その間に200店の専門店がテナントとして入っていました。
もうこの時から、両端に大型店舗が入り間に専門店が並ぶ、今時のショッピングモールのスタイルだったのですね。

すぐ隣は1993年にオープンしたららぽーとスキードームSSAWSという巨大な屋内スキー場があって、こちらには連れて行ってもらったことはなかったのですが、特徴的な建物の外観が強く印象に残っています。

当時も話題にことかかかない人気スポットららぽーとでしたが、百貨店とスーパーの相次ぐ経営破たんなどで暗雲が立ち込めた時代も。
2000年にそごうグループの民事再生法適用を受け閉鎖、2008年にはダイエーも業態再編のため撤退してしまいます。
スキードームSSAWSも2002年に閉館。
その後は若者向けを中心とした専門店舗のあるエリアを前面に押し出した形態に転換。
2006年には「ららぽーとTOKYO-BAY」と名前を変えて、今日に至ります。

今もららぽーとTOKYO-BAYはららぽーとの中で最大の店舗面積を持ち、
国内のショッピングモールとしてはイオンレイクタウンに次いで第2位の座を保っています。

船橋市が運営しているサイトにオープン当時のららぽーとの貴重な写真もありました。
ふなばしプラス ふなばし写真館
 

当時の思い出No.1 アラサー女性なら絶対コレ!

当時のららぽーと船橋で個人的に思い出に残っているのは、1988年にオープンしたファンタージェン
サンリオピューロランドの前身とも言えるサンリオの施設です。
屋内に再現された絵本の中にでてくるようなかわいい町並みはドイツの古都、ローテンブルクをイメージして作られたそうで、女の子には夢のような場所でした。

あんまり周りに憶えている人がいなく、わたしもかなり幼い頃の記憶なので、もしかしたら夢や現実とごっちゃになっているかもしれない・・・と思っていたのですが、キキララちゃんたちのオフィシャルブログの記事で、当時の写真を見ることができました。

Little Twin Starsオフィシャルブログ『サンリオファンタージェン』
ご存知の方は懐かしんでくださいね。
 

今も昔も

今日のららぽーと
時代が変わっても、家族で買い物や食事をするちょっと特別な日の楽しみは変わりません。
新しくオープンするららぽーと海老名も、これからきっとたくさんの人の思い出を作ってくれる事でしょう。

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Raco

元県央地区住民、今は東京の端っこから海老名まで毎日通勤しています。 趣味はアウトドア。 お祭り、イベント、フェス大好き!キャンプ仲間募集中です。
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